想~日々想うこと、徒然~

音、Tea、ときどき猫。読書、映画などの記録も。好きを好きなだけ

【映】シン・エヴァンゲリオン観てきた(下書き編)

エヴァ見てきた。
忘れないうちに雑感を。盛大にネタバレしているのでこれから見る人は絶対読んじゃダメな奴(回れー右っ!)

とりとめのない長文になっているのでご注意を。基本読まなくていいですw(自分備忘録なので)

一つだけネタバレなしで言うなら、音楽がいいからぜひ、音響の良い映画館で見てほしいです
(私はIMAXシアターで見たけど、そのあと半日丸っと映画酔いしてましたw)

#シンエヴァンゲリオン #エヴァンゲリオン劇場版 #さようならすべてのエヴァンゲリオン #IMAXTheater





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レイは「3rdチルドレンに恋に落ちる」とNERVで運命を仕組まれているのだとしたら。
マリは、ユイが最愛の息子に残すように計画し、ユイの手によってシンジと運命づけられていたのでは?などと。
「どこにいても迎えいに行くから待っててね、わんこ君」
約束通り、8号機から降り立ってシンジを迎えにいくマリ。

あ!あの海辺のシーンはもしかして、「ベルリン天使の詩」へのオマージュなのか?

(ベルリン~では、人には姿が見えない天使があろうことか人間に恋をしてしまう。想いを伝えるために天使としての永遠の命を捨てて、死によって終わりに向かっていく身体を得て人間となり、彼女の前に姿を見せて愛の告白をするという白黒無声映画。なのだけど、天使でなくなって地上に舞い降りた瞬間、白黒からカラーに代わる演出も最高に素敵な映画です)(しかも長編)

マリが少女の姿を捨てて大人になっている。
シンジの首筋をくんくんして「相変わらずいい匂いがするね~」って変態チックな発言をしながらDSSチョーカーを外すのがツボすぎて笑った。

シンジに人として誰かと生きていく幸せを与えるための、マリは天使だったのか。なるほど。

冬月と最後の会話を交わすシーン。
イスカリオテのマリア」
このセリフには2つの考察があると思う。

ユダは他の使徒たちがガラリヤの出身であったのに一人だけイスカリオテという土地の出身であった、
冬月やゲンドウとは別の幸せを手に入れるためにNERVと敵対する組織WILLEで奔走するマリ。
違う土地(世界線)を生きてきたこと、そして、自分たちと袂を分かつ(裏切った)この二つWミーニングなのだと思った
冬月やゲンドウと違う世界線を生きる事を望むマリ。
彼らを裏切るかのように世界を救うためにエヴァを消していくマリ。

そして、聖書に出てくる「マリア」達は、それぞれメシア(救世主)を傍で支える大きな役割を持つ女性たちだ。
聖母マリアマグダラのマリア...
アスカが言う「いまのあいつにはママが必要なのよ」その存在を引き受けたのがマリであり、やはり最初からシンジを支える聖母であり、彼を支える聖女としてユイから遣わされたのではないだろうか。などと想像してしまう。

そうか、ユイは物語の中枢を担う「神」なのだ。

というか、カヲル≒ゲンドウ、マリ≒ユイという写し鏡構造になっているのか?
死んだはずの加持が「渚指令」って言っているのもそういう理由からなのか。
「渚、とは。大地と生命の源である海の境目にある存在。うまい名前を付けたものですね」(あいまい)と、カヲルに語り掛ける加持。

Qですでに父親の化身とピアノを奏でることで一つになっていたことになる。
音楽が、特にピアノを弾くことが好きだったというゲンドウの告白。ぉぉ??ってなってる。
ウォークマン(もどき)でずっと繰り返し聴いていたものは一体何だったんだろう。
もういらない!と投げ飛ばすウォークマンをレイが何度もシンジに返しに来る。そしてそれを今度はシンジからゲンドウへ手渡される。

一つの大きなキーワード「音楽」「ピアノ」
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ミサトと加持が結ばれていた。
畑のシーンで「Ryoji Kaji」のゼッケンをつけたジャージ(?)姿の少年が出てきたときは悲鳴を上げた。

40代を過ぎると、自分の事だけを考えればいいわけではなくなってくる。

次の時代を生きていく若者たちの人生をどのように導き守っていくのか考えていかなくてはならない。それは物語の中だけでなく、現実を生きる私たちも同じことだ。

コミックで、加持が自分の事をシンジに聞かせながら、ミサトも父親の命と引き換えに生かされているのだと語るシーンがあった。
生きて幸せになる資格のない二人、というけれど。ちゃんと、未来へその想いが引き継がれているのが号泣ポイントだった。

自分の父親が2ndインパクトに関与していることを知り、けじめをつけるためにも何としてもゲンドウの目論見を止めたいミサト。そしてそれは何より、自分の息子の健やかな成長と未来への祈りを込めて。

本編ラストまで後ろに髪を結わえて帽子を取らないんだけど。最後の最後で帽子を取って髪をほどき、まだ無邪気な「姉御肌」だったころのミサトがひょっこり顔を出す(とはいえ緊迫したシーンの中なので「ぷぅっはぁ~!!」的なノリはない)作画も旧劇に戻ってた?

私たち人間は歳を重ねるたびに背負うものが大きくなっていくものだ。大人でも背負いきれない役割を、まだ子供だったシンジに背負わせていたことに気づく。
過去作の断片をちりばめながら「シンジ君一人に大きな役割を背負わせてしまった」
我が子を産んで初めて気づいたであろうミサトの想い。痛くて痛くてたまらなかった。

ゲンドウの術中にはまりほぼ壊滅状態になったWunderの甲板で、父ゲンドウと再会するシンジ。

シンジをハンドガンで「エヴァに乗るな」と脅し発砲するサクラとミドリ
そして、銃撃を止めようとしてシンジとサクラの間に入って撃たれてしまうミサトが放つ「この艦の艦長は私。彼(シンジ)の行動のいかなる責任も私がとります」というセリフはまさに「理想の上司像」

そして、父親を止めるためには説得してけじめをつけるか殺してとめるしかない(??ちょっとセリフが曖昧)みたいなことを言ってシンジを送り出すミサト。
大人たちである私たちが背負う責任、組織の長として部下を守るために必要なこと。こういうリーダーの下で私も働きたい(と、真顔で思った)このあたりから物語の後半が見え隠れしていて涙を必死にこらえるべく眼筋がふんばりはじめる。

力ではなく、対話で。
隠されていたゲンドウの過去を自ら語りながら、目の前のシンジの中に最愛の人がいることに気づく瞬間。
孤独だった自分が、ユイという愛を知ってしまったがばっかりに、再びそれを失う恐怖。
「小さいころ家族の愛を知らずに育った人は自分の子供をどう愛していいかわからない人が多い」まさにそういう不器用な父親像。

みんなそれぞれの「愛する人」へ向かっていく。
世界中で愛読されているベストセラー、旧約/新約聖書への壮大なオマージュをちりばめつつ。
エス様の血の贖いによって私たちが神様に赦されたように。シンジの血の贖いによって人類が助かる、のかと思いきや。
最後にユイという母親の愛によってシンジだけでなく世界が救われるという本当に壮大な愛の物語だった。
神様が愛する我が子を救うように。

ユイはゼーレ側に立って、何がしたかったんだろう?という個人的な謎は読み取れぬまま。2度目見たらきっと、また何かが変わるのだろうと。

マリとシンジが成長して大人になっている姿を見て、少し前につぶやいたこと(スーツ屋さんとのコラボポスターでスーツ姿のアスカ、シンジ、レイを見て、「スーツを着て大人になっている姿を見たい」とつぶやいたことがあった)もあながち間違いではなかったのではなどと。

ただ、この物語が「繰り返し」の物語であるのならば。シンジとマリの間に芽生える愛にも、同じループが待っているという事か?(悲劇になるのは嫌だなぁ...)

何なら次世代たちのスピンオフ作品が1つできてしまうのでは?トウジと委員長の子供、2代目加持リョウジ君、いつか誕生するであるマリとシンジの子供たち、第三村の人たちのその後、脱出カプセルで地球に戻るWILLEクルーたちの事。リツコやマヤたち。すべてのエヴァが消えてその後の地球。

コミック版のラスト、遺跡と化したエヴァの研究が進むも何もわからないことになっているという。
「彼らの戦いが遠い過去になるほど長い時間が過ぎているという描写だ」とする考察を読んでふむふむ。

ユーミンの「Voyager~日付のない墓標~」をユイ/レイの林原めぐみさんが歌う。
自分のためだけに生きられなかった不器用なゲンドウへ。忘れ形見であるシンジの中から響く「あなたを愛したことを 死ぬまで誇りにしたい」眼筋ふっきれて涙腺が崩壊した瞬間。

この曲を使いたいがためにこのラストがあったのではないか?と思うほど。シーンにぴったりはまっていた。

マリが口ずさむ歌の数々にも、たくさんの伏線が張られていたのだと改めて。

死海文書が発見されたニュース。
今回発見されたかけらたちは、以前に発見されたものを補完するものであるという。
月への移住計画や、南極で未確認物体が発見されたというニュース。
なんというタイムリーか...これもすべて「レーゼの計画通り」?w